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一般社団法人日本ゴールボール協会 担当者:西村
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日本代表強化指定選手たちの、ゴールボールはじめの一歩

金子和也選手

新たに熱中できるもの

ゴールボール との出会いは中学3年生の夏でした。母が「パラリンピアン発掘事業」と書かれたチラシを持ってきて、参加を進めてくれました。幼い頃から兄弟と共に野球に打ち込み熱中していたところ、突然の視力低下により野球をすることを断念せざるを得なくなりました。体を思い切り動かすこともできない、熱中できるものも見つからずいた所の母の誘いに乗って事業の体験に行きました。
最初に体験したのがゴールボールでした。そして、当時の男子日本代表選手のデモゲームを見て、実際に体験して、「面白い!楽しい!もっと上手くなりたい!」と思い、熱中していきました。

川嶋悠太選手

見えなくなって見えたもの
種類は違えど、追いかけるのはボール

4歳の頃から野球を始め、大好きな白球を追いかけていました。小学校4年生の頃、突然昨日まで見えていたボールが見えなくなりました。その中、中学生で出会ったのがゴールボールです。代表選手の投げるボールの速さに驚くことばかり。白球は見えなくなった日、次はゴールボールで世界を目指したいと目標が見えました。見えなくなっても、追いかけているのはずっとボール。

佐野優人選手

目指せ!甲子園 野球ができなくなった…
なら、目指せ!世界1位 ゴールボールで夢を叶えろ!

小さい時から野球が大好きで中学生の頃は、高校野球そして甲子園を夢みて白球を追い掛けていました。しかし、中学三年生の時に難病で視覚障害となり野球を断念しなくてはなりませんでした。そこから障害を受容した後に、同じ病気で野球を行っていた先輩(山口選手)に出会いゴールボールを進めて頂きゴールボールを始めました。僕の最初のゴールボールのイメージは「見えてないのにこんなに動けるのかっこいい!」で、ゴールボールに一目惚れでした。白球は見えなくなりましたが、次は音球を追いかけ世界1位が夢に変わり叶えたいと思っています。

宮食行次選手

ゴールボールとの出会いで人生が予期せぬ方向へ

2017年、私は盲学校で鍼灸師の勉強をしており、ゴールボールについて全く知らない状態でした。その年の12月に、たまたま誘われて日本ゴールボール協会が主催するゴールボールキャンプに参加し、初めてゴールボールの試合を行いました。初めての試合はとにかく何もわからない状態でしたが、たまたまゴールが決める事ができて、周りから拍手や歓声が上がった時はとても嬉しかったのを覚えています。
それからゴールボールに心を奪われて、2018年の4月に、東京2020パラリンピックに出るため、競技がやりやすい職場を選び、上京しました!そこから競技人生が始まり、色々と紆余曲折がありましたが、なんとか東京2020パラリンピックに日本代表選手として出場することができました。ゴールボールに出会い、思いもよらぬ方向へ、人生が転がり始めましたが、とてもいい人生だと感じています。

宮食行次選手のロングインタビューを読む

山口凌河選手

視力を失い、大好きな野球から新たに打ち込むようになった、、、それがゴールボールだった。

幼い頃から野球漬けのわんぱく少年でした。しかし、中学3年の春に視力の異変に気づき、ほぼ半年で視力を失いました。中学を卒業し、地元の盲学校へ進学しました。いや、進学を余儀なくされたと言う言い方が正しいかもしれません。そのような引け目を感じている僕。障害受容ができていない僕。そんな僕を変えてくれたのはゴールボールでした。
体を動かせる喜び。仲間と共に、スポーツができる喜び。野球に熱中していた日々を思い出させてくれるような毎日でした。顧問の先生が日本代表の選手であったこともあり、自ずと世界で戦うことやパラリンピックを意識するようになりました。そして、僕は運命に導かれるように野球に代わりゴールボールにのめり込むようになります。

安藤勇二選手

偉大な先輩に憧れて

高校2年生の時、岐阜盲学校のゴールボールの部活動が盛んで活気があったため、自分も一緒に体を動かしたいと思いなんとなくの気持ちで入部してみました。日曜日の練習になるとさらに活気が増し、地元のOBの選手だけでなく、他県からの選手の参加もありレベルの高さに驚き、そして強そうなオーラの選手に憧れたのをおぼえています。小中学生の時に野球やバレーボールをやっていたこともあり、チームスポーツの球技が好きだったため、どんどんのめり込んでいきました。

行弘敬祐選手

ひとつずつできることが増えていく楽しさ。
新しい人たちとのつながり

私は大学1年生の夏に視覚障害となりました。症状が進行していくにつれできないことが増えていく毎日でした。そんな中、自立した生活を目指すため行なっていた自立訓練の最中、職員の方から教えていただいたスポーツ、それがゴールボールでした。初めて行った時、今まで感じたことのない痛みやそれとともに暗闇の中でも動ける楽しさを知りました。健常者として生活していた時には感じることのできない難しさ、そして、それを乗り越える達成感を知り、初めての体験で、ゴールボールに私自身魅了されました。

欠端瑛子選手

スポーツなんて苦手!そんな私の人生を変えたのがゴールボールでした

盲学校高等部に入学して体育の授業で初めてゴールボールを知りました。ただスポーツが苦手な私はボールが当たると痛そうだからという理由で見学していました。ところが、高校2年生の時関東大会に出るためのメンバーがいないので出て欲しいと言われ仕方なく出場したところゴールボールの楽しさにすっかりハマってしまいました。当時はフロアバレー部にも入っていましたがボールを目で追いながら走るのは正直苦手でした。ゴールボールの見えなくてもできる、仲間と声をかけあって勝利する喜びを感じることができました。

高橋利恵子選手

「寝といてくれたらいいから」と誘われて…
難しすぎたけど、面白かった!!

高校2年生の時。体育の教員から「大会に出る女子の人数が足りない。寝といてくれたらいいから出場しないか」と誘われたのがキッカケです。寝るだけならと思っていざ参加してみたら、全然レベルが違い、投げられたボールと一緒にゴールに入っていきそうな勢いに「こんなはずじゃなかった」という気持ちに。ですが、先輩が何もできない私をほめちぎってくださったおかげでラッコのように上向きになっても、何でもいいから「止めるんだ」という思いに。がむしゃらに寝るスポーツがこんなにも面白いのかとどんどんのめり込んでいきました。

高橋利恵子選手のロングインタビューを読む

天摩由貴選手

「とにかくまずはやってみよう」が新たな目標へのきっかけになりました。

大学院生の時、母校である筑波大学附属視覚特別支援学校のゴールボール部の顧問に、東京2020パラリンピックを目指してゴールボールをやってみないかと声をかけていただいたことがきっかけで始めました。陸上競技でロンドンパラリンピックへの出場経験があり、パラリンピックに出場する大変さも、世界の舞台で結果を残す厳しさも多少分かっていたからこそ、もう一度世界を目指す覚悟がすぐにはできなかった私ですが、「とにかくまずはやってみてそれでもダメだと思うならやめていい」という言葉に背中を押されて初めての練習に参加しました。再び競技を始めて生活に新たな出会いと刺激と充実感が増しました。やればやるほど奥が深いこの競技をもう少し堪能したいと思っています!

萩原紀佳選手

限界を自分で決めつけ、挑戦することから逃げてきた自分を変えたくて!

高校のクラスメイトにゴールボールに誘われましたが、見えにくいことを言い訳にして運動を一切してこなかった私にできるわけがないと約1年間ずっと断り続けていました。せっかくの誘いを断りきれず、最初はただみんながやっているからと言う理由だけで練習を初め、なんとなく続けていました。私が初めて出場したゴールボールの大会で私はボコボコにやられ、挑戦をしてこなかった私が初めて悔しいと感じた瞬間でもありました。
全員が同じ条件でプレーをするゴールボール、私はこの競技に出会うことができ、挑戦することの楽しさ、自分の限界に挑むことのワクワクする気持ちを知ることができました!

安室早姫選手

あのボールが全部取れるようになりたくて

私がゴールボールを始めたのは高校生の時。先生に声をかけていただいて、練習に行ってみると、実は数ヶ月後に迫った日本選手権に出場する選手が足りず探していたとのこと。始めて間もなく大会に出ることになりました。その後、色々重なって、初心者3人だけで全ての試合を戦わなければならない状況に。初戦、あと1点でコールドというところで、相手が途中で下げたエースを再投入してきました。この1球は何が何でも取りたいと思いましたが、それはできませんでした。
それが悔しくて悔しくて、どんなボールでも取れるようになりたいと思い、真剣にゴールボールを続けようと決めました。

神谷歩未選手

見えるか、見えづらいか、見えないか関係なく楽しめた

私がゴールボールと出会ったのは、通っていた盲学校の体育の授業です。
私は弱視なので初めてプレーしたときは見えない状態に不安もありましたが、全員がアイシェードをして、平等な状態でプレーをするというところに魅力を感じました。他の視覚障害者スポーツだと、弱視か全盲かでプレースタイルが異なるものもあり、スポーツによっては見えづらく、苦労したものもありました。ゴールボールは、見えづらさを気にすることなくできるスポーツだったので、とても楽しいと感じました。

小宮正江選手

見えなくてもスポーツができるなんて!
夢・目標に限界まで挑戦させてくれるゴールボールとの出会い

大学卒業後就職2年目、進行性の病気で見えなくなっていく不安により国立福岡視力センターに入所。そこで見えなくてもスポーツができることを知り感動!その時に出会ったのがゴールボール。九州からまだ女子チームが大会に出場したことがないということで誘われクラスの仲間と練習を始めたのがきっかけです。見えなくても鈴の音でボールがキャッチできる喜びがあり、そしてやればやるほど結果がついてくる楽しさや音の世界の奥深さに魅力を感じました。その大会で優勝・MVPをいただいたことで強化合宿に参加。世界大会で悔しい思いをして、世界一の目標を持つことができ、挑戦できる幸せを感じながら今もなお限界にトライしています。

新井みなみ選手

テレビに映る先輩方に憧れて

私は、小さい頃から動くことが好きで、色んなスポーツに挑戦し、スポーツの楽しさを知り、今後もスポーツを続けたいと思っていました。
そこで、東京2020パラリンピックを見て、高校が同じだった先輩方が、日本代表として、戦っている姿に「かっこいい」「先輩と同じコートに立って戦いメダルを取りたい」「結果で色んな人に恩返しがしたい」と憧れを抱くようになりました。暗闇の中で体を動かすことに不安がありましたがスポーツが好きだからこそ、新しい競技に挑戦したいと思い、ゴールボールを始めました。

木村由選手

シンプルだからこその奥深さ

私がゴールボールに初めて出会ったのは小学校の体育の授業です。その後、高校の部活動で本格的な試合を経験しました。相手のゴールにボールを入れるというシンプルなルールの中で、フェイクや投げるコースなど戦略を考えながらプレーできるというところが魅力だと感じました。また、技術を磨くことで戦略の幅も広がり、メンバーを代えることでゲームの組み立て方が変わるという面白さを知り、強くなりたいと思うようになりました。

節丸真愛選手

ゴールボールの魅力を伝えてくれた人たちとの出会いが今の挑戦に繋がった

ゴールボールとの出会いは高校生の時、子どもの頃からスポーツが好きだった私に両親がすすめてくれたことがキッカケでした。当初は身近に練習環境がなかった中で、さまざまな方々のご協力で練習会に参加させていただいたり、日本代表選手のプレーを間近で見させていただいたりした中で、ゴールボールの戦術や迫力、チームプレーといった魅力や楽しさを実感しました。また、国内大会出場の経験を通して、もっと強くなりたいという気持ちが膨らみ、ゴールボールで世界を目指したいと強く思うようになりました。

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