宮食行次選手ロングインタビュー

見えた!世界の頂点への道筋。「もう、チャレンジャーじゃない」

宮食行次選手プロフィール

ポジション

レフト

クラブチーム

所沢サンダース

所属

株式会社コロプラ

1995年3月20日、大阪府吹田市生まれ。小学校から野球をはじめ、5年生のとき網膜色素変性症と診断されたが、見えにくさを自覚したのは中学時代から。高校ではソフトボールをはじめ、大阪選抜にも選ばれるほど活躍した。大阪府立大阪北視覚特別支援学校の理療科在学中だった2017年、ゴールボールキャンプ(合同練習会)に参加し、競技を始める。2018年には日本代表強化指定選手に選出され、さらに力を伸ばすと、2021年、東京パラリンピックの日本代表入り。大会ではチーム最多の13得点を挙げ、10チーム中5位入賞に貢献する。2022年からコロプラに所属し、2024年パリパラリンピック出場を目指し、練習に励んでいる。

■初めての東京パラリンピックを戦って

――東京パラリンピックはお疲れさまでした。男子日本代表は初出場で5位入賞。宮食選手もチームで得点王の大活躍でした。あらためて、どんな大会でしたか?

これまでの自分の競技歴のなかで、いちばん印象に残っている大会です。僕にとって初めてのパラリンピックでしたし、アジアパラゲームズの出場経験もない僕には総合大会も初めてでした。あのヒリヒリ感や緊張感、高揚感などは(去年、初出場した)世界選手権にもなく、パラリンピックでしか味わえないもの。負けた悔しさもパラリンピックを上回ることはないですね。

あんなに応援されたのは初めてだし、その応援がすごく力になるんだなと実感できた大会でもありました。ゴールボールを始めたばかりの頃は、僕がゴールボールをやっていることも、そもそもゴールボール自体もあまり知られていませんでした。でも、東京パラはいろいろな人が見てくれて、昔の知り合いなどもいっぱい連絡をくれて、「がんばれよ」って言ってくれました。すごくパワーをもらって、試合では普段以上の力が出せました。

――日本男子代表は初戦から本当にいい波に乗っていたように見えました。予選は全勝でしたね。

僕だけでなく、チーム全員がいつも以上の力を出せていたのではないかと思うくらい、初戦からチーム全体に勢いがありました。

ただ、決勝トーナメントに入った準々決勝で中国に力負け(4-7)。チームとして良かった点もあったけど、乗り越えなければいけない壁も見えました……。

――今、目指しているパリ大会に向けての壁ですね。その壁、高いですか?

東京パラでは金メダル獲得を目標に掲げてはいましたが、「あの山に登りたい」という程度で、山の頂上は見えていても、途中の道のりは雲がかかって全然見えていませんでした。

でも、東京大会を経験して、「この道をこう辿っていけば、頂上まで行ける」という、確信を持てるようになりました。

■野球経験を生かして、ゴールボールに転向

――世界の頂点への道筋が見えているんですね。どんな道筋なのか探っていきたいと思います。まずは、宮食さんがゴールボールと出会うまでのお話から聞かせてください。幼い頃はどんなお子さんでしたか?

子どもの頃からスポーツが大好きで、小学1年から野球を始めました。中学まで野球部で、高校からはソフトボール部に入りました。

――ソフトボールでは大阪選抜入りしたとか。視覚障害については?

小学5年のときに先天性の網膜色素変性症と診断されましたが、当時はまだ、眼鏡をかければ不自由を感じることはありませんでした。中学に入って、暗いところで見えないとか、人よりも視野が狭いのかなと自覚しました。

今はトイレットペーパーの芯から覗いているような見え方ですが、スマホを使ったり、文字を読んだりもできます。

ただ、進行性なので、見えているうちにやりたいことをやりたいと思っています。

――ゴールボールと出会ったのは?

高校卒業後、地元の視覚支援学校の理療科に入ってマッサージの勉強をしていた2017年に、日本ゴールボール協会主催の合同練習会があると聞いて参加したのがきっかけです。

見えにくさが進んで、野球やソフトボールに変わってできるスポーツを探していました。

――体験してみて、ゴールボールが面白いと思ったのですか?

「意外とできるな」と思いました。野球の経験からボールを投げることは元々得意で、今まで培ってきたものを生かせる競技だなと思えたことは大きかったです。

プラス、仲間と一緒にやるチームスポーツであるところにも魅力を感じました。

――視覚障害者対象のスポーツなら、他にも選択肢はあったのでは?

サッカー経験がなかったのでブラインドサッカーは無理だと思ったし、柔道もやったことがありませんでした。

野球経験を生かせる競技ではグランドソフトボール(盲人野球)。盲学校で始めたフロアバレーなどもありますが、ゴールボールだけがパラリンピックを目指せるスポーツで、「これだ」と思いました。

――練習会後、どのように競技を始めたのですか。

(強化指定選手のひとり)山口凌河くんとSNSで知り合って、「東京に行こうと思っている」と話したら、彼のチーム(所沢サンダース/所沢市)を紹介してくれました。東京での就職先を探して卒業後に上京し、サンダースに入りました。

ーー行動力がすごいですね。ご家族も応援してくれましたか?

実はゴールボールについて、家族とちゃんと話したことはないんです。東京に行くのは就職が決まったからで、ゴールボールをやるためであることは、とくに伝えていませんでした。「ゴールボールで結果が出たら言おうかな」くらいでした。

――すごいな~。今でもご家族は知らないのですか?

僕からは伝えていませんが、勝手に調べたみたいで、いつだったか、「ゴールボールやっているんだね」と言われました。

2019年のアジア・パシフィック選手権(千葉市)のときは何も伝えていなかったのに、「知った声がするな」と思って客席を観たら、おかんが手を振っていて驚きました。

■飽き性な、研究の虫

――応援してくださっているのですね! それにしても、宮食さん、なかなか豪快ですね。ご自身の性格についてはどう思っていますか?

前向き、だと思います。落ち込むこともないし、辛いことや悔しいこともすぐに忘れてあまり引きずりません。

もちろん、悔しいことやうまくいかないこともありますが、「そんなもんだろう」というか、すべてがトントン拍子に行くわけがないと思う。だから、試練があっても、「なんとかなるやろう」と思えます。

――そういう性格はアスリートとして、どうですか?

僕は大事だと思っています。「この道がダメなら、こっち」「これがダメなら、こっちへ」と、僕なりに道を探っていろいろ試し、最後はちゃんとゴールに向かって進んでいるタイプだと思います。

でも、一つのことをひた向きに突き詰めたり、一途に一直線タイプではないので、はたから見たら筋が通ってないと思われるかも。ずっと同じことをやりつづけるのは苦手で、飽き性でもあります。

――飽き性は見方を変えれば、好奇心旺盛とも言えそうです。

あれこれ手を出したくなる性格ですね。野球でも、いろいろな変化球を投げたいタイプでしたが、ゴールボールでも、いろいろな種類のボールを投げたいと思っています。

そのために研究することも好きです。「こう投げたら、ボールはこう変化する。じゃあ、こうしたらどうだろう」とか、いろいろ考えて試しています。

ゴールボールのYouTubeもよく見ます。海外選手の情報収集をしたり、投げ方を見て研究しています。実際に対戦するときにも役立つし、そういう研究は代表チームの中で一番やっているのではないかと思います。

――そうした研究によって、見えた課題はありますか?

パワーだけで押し切れるほど世界は甘くない。だから、技術的な武器を増やして攻撃のバリエーションを増やしたいです。例えば、今の僕の武器は、左方向に助走しながら右に投げるという出どころが分かりにくいボールですが、新たに右に助走して左に投げることも練習しています。この2種類に、ただ真っすぐ投げるコースも組み合わせて相手をだます多様な攻撃を今、磨いています。

――これまでと、逆の動きですね。難しくないですか?

はい。選手それぞれに得意な投げ方があって、右利きの僕はボールのリリースポイントが両脚の間、左脚より前には出ることはありません。内側(体の下)から押し出すタイプなので、右方向(流し)は投げやすいですが、左方向(引っ張る)に投げようとすると、体に当たってしまいやすく、不得意でした。でも、練習していくうちに、左脚より少し前から引っ張るように投げられるようになってきました。まだ精度は低いですが、少しずつ精度が上がっているので、新しい武器にしたいです。

もちろんシンプルに、ボールの強さやバウンドの高さも常に追求しつづけなければと思っています。そのためには投げ込みも大事ですが、フィジカルの向上が一番の近道だと思っています。

右投げだと左足が先に来る。右方向には投げやすくても、左方向には投げにくい。

――元々身長は高い(182㎝)ですが、ここ最近、体全体に大きくなっていますね。

ゴールボールを始めたばかりの頃はヒョロヒョロで細長い棒みたいな感じでしたけど。トレーニングの成果で体も大きくなって、フィジカルもだいぶ強くなりました。

速さや強さ、高さの違う多彩なボールや助走のバリエーションで、相手を揺さぶるところも、ぜひ観てください。

――ライバル選手はいますか?

ライバルというか、目標にしているのはブラジルのレオモン(・モレノ)選手ですね。ゴールボール選手なら誰もが知っている選手で、僕が投げたいボールをすべて持っているというくらいの選手です。

レオモン選手だけでなく、ブラジルはどの選手もレベルが高く、ブラジルは見ていて楽しいし、参考になります。

(昨年12月の)世界選手権で3連覇したのですが、その時、ブラジルのコーチから、「日本は今、戦いたくないチームの一つだ。いろいろな駆け引きをしてくるし、何を仕掛けてくるか分からない怖さがある」って言われたんです。

――世界トップのブラジルから怖がられるなんて、すごいですね!

素直に嬉しかったし、そういう駆け引きや多彩さを磨いていくことが今、一番大事だろうと思って、意識して取り組んでいます。

――これからの目標を教えてください。

まずはパリパラリンピックの出場権を獲ること。もし、出場できることになったら、メダルを取らなければいけないレベルに来ているなと思っています。

――東京パラのときとは違いますか?

東京パラでは日本はめちゃくちゃチャレンジャーで、ほぼどこもマークしていなかったと思う。だから、うまく言った部分もあると思います。

今は世界ランクも上がって、警戒される国になってきていると思うので、また違った戦い方になるだろうなと思っています。

もうチャレンジャー感は少なくなっていて、メダル獲得も現実的に見えてきている。今の実力を試合でちゃんと出せれば、メダルを獲れると思っています。

――メダルを「獲りたい」から、「獲るぞ」になった?

そうですね、獲れる力はあると思っています。

■目が悪くて、よかった

――もし、ゴールボールと出会っていなかったら、今、何をしていると思いますか? 

目は悪いままですよね? そうなると、選択肢が狭まるかな。例えば、車の運転はできないし・・・。ただ、昔から人と話すことが好きで、営業職への憧れがありました。結果が売り上げという数字で表れるので分かりやすいじゃないですか。やっただけ成果が見えるのはモチベーションがあがります。

――「目が悪いと選択肢が狭まる」というお話がありましたが、もし今、「視力が戻る薬」があったら、のみますか? 

う~ん、もう少し待ちますね。障害がなくなって世界で戦えなくなったら困るので、この先ゴールボールの現役選手として限界を迎えるまでは今のままでいいです。

とにかく、今いちばんしたいことがゴールボールなんですよね。目が悪くてよかったと思えています。

――やっぱりゴールボールなんですね。では、好きな言葉やモットーはありますか?

「経過は己のために、結果は他がために」。有名なダンサー、TAKAHIRO(上野隆博)さんの言葉です。ダンスというショーをつくるための、裏の努力は自分のためであり、その結果として見せるショーは他の人のためにという意味です。

スポーツも一緒。とくにパラスポーツは支えてくれる人も普通のスポーツよりも多いと思うし、そういう人たちに結果で恩返しできたら最高だなと思います。

ゴールボールを始めてすぐの頃に何かで読んで以来、ずっと励みにしています。

――「結果が誰かのためになった」と実感したエピソードはありますか?

僕と同じ病気の人で、「東京パラを見て、ゴールボールを始めた」という人が何人かいて、嬉しく思っています。そんな風に障害のある人たちの活力や、「何かやってみよう」と思うきっかけになれることを目標に、僕は今、ゴールボールをがんばっています。パラアスリートにはそういうところにも価値があるのかなと思っています。

――なるほど。では逆に、宮食さんが影響を受けたり、憧れているアスリートはいますか?

超ベタですが、大谷(翔平/ロサンゼルス・エンゼルス)選手です。腹立つくらい、マイナスなところがないですよね(笑)。ほんとうに憧れます。

僕自身が野球をやっていたこともあるし、1995年3月生まれなので実は大谷選手と同級生なんです。「大谷世代」って言えるのが、すごく幸せです。

――同い年ですか!

大谷選手を筆頭に、1994年世代はすごいアスリートが揃っているんです。藤浪(晋太郎/ボルチモア・オリオールズ)選手、鈴木誠也(シカゴ・カブス)選手、競泳の瀬戸(大也)選手、萩野(公介)さん、フィギュアスケートの羽生(結弦)さん……。スポーツの最前線を引っ張ってきた人たちが大勢いる世代なんです。

――本当にトップ選手ばかり! 宮食選手もその一人ですね。

はい、勝手に入っています(笑)。

いつかプロ野球の始球式で投げてみたいですね。パラリンピックでメダルを取って呼んでもらえるように、頑張ります。

■あの悔しさは忘れない

――そういう目標も大事ですよね。では、現役引退後の人生で描いている夢はありますか?

やっぱりゴールボールに関わっていたいです。実は全く関係ないことをやりたいと思った時期もありますが、ゴールボールでこれだけ成長させてもらい、いろいろな人と出会わせてもらったので、ゴールボールに恩返ししたい思いが強くなっています。

例えば、指導者系。戦略やトレーニング方法などを研究することが好きなので。

――パラスポーツで競技経験者が指導者になるケースはまだ少ないですね。

ゴールボールでは市川(喬一)監督という第一人者がいますが、市川さんだけに頼っていても、しんどいと思う。僕は誰も辿ったことのない道をつくっていくことが好きなんです。

男子代表はまだ、自力でパラリンピックに出場したことがないので、パリの出場権を自力で取りたい。そうすれば、歴史に名を刻めるし。それも大きなモチベーションになっています。

――ぜひ、かなえてください! では、ゴールボールから離れた質問を一つ。宮食さん自身の人としての魅力をPRしてください。

え~、包容力、ですかね。なんでもかんでも許しちゃうところがあります。誰かにキレたり、怒ったりもしない。イライラしている自分があほらしくなってしまうので。なので、「包容力のある男」で、お願いします!

――そういえば、試合後のインタビューでも、宮食さんはすごく冷静で、フラットにお話ししてくださるイメージがあります。

試合で勝っても負けても興奮しすぎない。冷静になりすぎる部分があります。嬉しいとか悔しいとかもすぐに忘れて、切り替えられるタイプです。

ただ、そういう意味でいうと、東京パラだけは違いました。予選1位だったのに準々決勝で中国にパッと負けた悔しさは忘れられない。だから、次の目標に向かって練習環境を変えました。

――どういうことですか?

競技に専念できる環境を求めて、今の所属先に移りました。結果を残さなければいけないという責任感はありますが、完全アスリート雇用という、すごくいい環境でやらせてもらっています。

――ゴールボールから離れた話を聞こうと思っても、どうしてもゴールボールの話題になっていまいます。それだけ毎日が充実しているんですね。では最後に、ゴールボールに興味がある人たちをゴールボールの世界に誘ってください!

真剣に取り組めば、人生が変わりますよ! 僕自身、こうなると想像もしなかった、すばらしい人生になっています。

将来も明るくなりました。僕の病気は進行性なので、お先真っ暗と思ったときもありましたが、今は、もし完全に見えなくなっても、ゴールボールがあるから大丈夫だと自信をもっています。

――世界も広がりました?

そうですね。世界の頂点を目指す人生なんて、考えてもいなかったし、海外に知り合いも増えました。ゴールボールはコミュニケーションが必要だから一緒にプレーすると、いろいろな人とすぐに仲良くなれます。

そういえば、先日、SNSを通してフランスの16歳の男の子から連絡があったんです。「僕は、東京パラのあなたのプレーを見てゴールボールを始めました。来年は開催国枠でパラリンピックに出るので、日本チームも絶対に来てください!」って。

――うわ~。宮食さん、海外の若い人の人生にも影響与えているんですね。パリで会いたいですね。

ビックリしました。「絶対に出場権を獲るぞ」って、めちゃくちゃモチベーションが上がりました。

――大きな力にして、さらなる飛躍を期待しています。ありがとうございました!

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