高橋利恵子選手ロングインタビュー

今、とても幸せ。でも、もっと嬉しいことを探していきたい。仲間たちと一緒に。

高橋利恵子選手プロフィール

ポジション

センター

クラブチーム

Merveilles

所属

関彰商事株式会社 総合企画部

1998年3月20日、広島県広島市生まれ。先天性の網膜黄斑変性により、幼い頃から視覚障害がある。小学校は普通校に通ったが、中学は広島県の特別支援学校で学び、高校から筑波大学附属視覚特別支援学校に進学。ゴールボールには高校2年生だった2014年に出合い、筑波大学進学後の2017年、日本代表強化選手に。2018年、世界選手権(スウェーデン)で初の日本代表入り、2019年、アジア・パシフィック選手権(千葉市)ではセンターでフル出場し優勝に貢献する。2021年には東京パラリンピックに初出場し銅メダル獲得。2023年から日本代表キャプテンに就任し、パリパラリンピック出場を目指している。

■初めての東京パラリンピックを振り返って

――約2年前になりますが、初出場された東京パラリンピック、お疲れ様でした。あらためて、どんな大会でしたか。

とても悔しい大会でした。

――えっ、銅メダルも獲得しましたが?

金メダルを目指していたし、私個人としても初戦のトルコ戦での失点が多く、悔いが残っています。その後の試合では建て直せた部分もありますが、最初からいいプレーができていたら違う結果だったのではないか、もっとできたのではないかと、思ってしまいます。

それに、3位決定戦で勝てたのは嬉しかったですが、「もう一つ上の景色が見たい」という気持ちのほうが、実は大きかったのです。

――目指すところが、まだまだ高いということですね!今日はそんな高橋さんのゴールボールへの思いを、いろいろ探っていきたいと思います。まずは、今の見え方から確認させてください。

生まれつきの障害ですが、光は感じるのでコントラストがはっきりしていれば形は分かります。でも、顔のパーツまでは分からず、視野も狭いです。

――どんな子ども時代でしたか?

あまり見えていませんでしたが、遊ぶのは大好きで、お転婆だと言われていました。小学校は普通校に通いましたが、体育も見学することはなく特別ルールを作ってもらって参加していました。

中学からは盲学校に通ったので、部活動でスポーツを始めました。中学ではサウンドテーブルテニス(STT)を、高校では一人2つまで部活に入れたので、1年生ではSTTとフロアバレーをやりましたが、フロアバレーは2年生で辞めました。

――なるほど。高校からは地元を離れ、東京の筑波大学附属視覚特別支援学校(附属盲)に入っています。なぜ、希望したのですか?

地方に比べて、東京の学校の方がいろいろ進んでいると聞いていたからです。例えば、卒業後の進路として、広島では選択肢が狭く、鍼灸科が一般的でしたが、東京では大学に進学する人も多いと聞きました。視野が広がりそうと思ったことも東京の高校を希望した理由の一つです。

――16歳で地元を離れることに、ご家族の反対はなかったのですか?

うちの家族は、「進路は自分で自主的に選びなさい」という教育方針でした。小学校は盲学校でなく、普通校に行くことを決めたのも、私です。

中学は地元の普通校か盲学校、または附属盲の中学部の3択でしたが、地元の盲学校を選びました。でも、高校からは附属盲に行きたいと思っていて、家族も送り出してくれました。

――念願の附属盲での生活、いかがでしたか?

選んでよかったです。地方と東京では情報格差が大きいことも経験しました。例えば、ゴールボールという競技があることを知ったのは附属盲に入ってからです。おかげで、私の世界は大きく広がりました。

――高校卒業後は筑波大学で学び、大学院にも進みました。

はい、「障害科学学位プログラム」を修了しました。さまざまな障害の基礎知識や指導方法などを学んだり、社会福祉士などの免許を取得できます。私も特別支援学校の教員免許を取得しました。

――学校の先生になりたかったのですか?それはなぜですか?

私自身が地方都市と東京との情報格差を感じていたので、特別支援学校の教員になって、そのギャップを埋めてあげたいと思っていました。

「どうせ見えないから」と、生徒が可能性を自分で狭めてしまわないように、障害当事者の教員として「こういう手段もあるよね」と、選択肢をいろいろ提示してあげられたらといいなと。その思いは今もライフワークとして変わっていません。

■ゴールボールと出会って、広がった世界

――ここからは、ゴールボールについて聞かせてください。競技を始めたのは高校2年のときですね。

はい。学校にゴールボールのサークルがあり、顧問だった体育の先生から、「大会に出るのに、人数が足りないから」と声を掛けられたことがきっかけです。

誘っていただいて、よかったです。ゴールボールを始めたことで、想像もしていなかった経験ができているからです。ゴールボールは体育の授業では経験していましたが、誘われて最初に出場した大会は日本選手権という日本最高峰の舞台でした。そこから世界も可能性もどんどん広がっていきました。

例えば、STT(サウンドテーブルテニス)やフロアバレーボールはパラリンピック競技ではないし、国内大会しかありません。ゴールボールだからこそ、広がったと思っています。もし附属盲に行かなかったら、ゴールボールにも出会っていなかったと思うので、よい進路を選んだなと思います。

――ゴールボールを始めてから、自分自身に感じた変化などはありますか?

ゴールボールを通して海外の視覚障害のある選手たちとの関わりができたことで、彼らがどういう生活をしているのかなど海外の視覚障害者にも興味を抱くようになりました。漠然としていた留学への興味も、より具体的になった気がします。

――競技として取り組み始めたゴールボールについて、どうですか?

面白かったです。もともとアスリートになるつもりはなかったし、私は元来、飽き性だったはずなんです。でも、競技の面白さに、どんどん引きずり込まれていった気がします。

魅力はたくさんあって、例えば、見えないなか、音でだまし合うこと。私も試合中、相手のコートを想像しながらプレーしています。

ベンチとコラボレーションしながらチームで戦うことも楽しいです。ベンチの指示をコート内で試してみたら、面白いように得点が入ったり、ディフェンスでも作戦が決まれば気持ちいいです。ベンチに入っていないスタッフも情報を与えてくれるし、みんなで戦っている感じが好きですね。

――大学入学後にクラブチームに入って、すぐに強化指定選手に選ばれます。以来、東京パラをはじめ、国際大会にもたくさん出場しています。とくに印象に残っている試合や大会はありますか?

個人的に転機だったなと思う大会が3つあります。一つは2018年の世界選手権で、私にとっては初めて日本代表に選ばれた大会です。当時はウイングプレイヤーで、プレータイムは少なかったのですが、(強豪の)トルコの選手から、「守備のいい選手」として認知されたみたいで、嬉しかったことを覚えています。

■代表センターを受け継ぐ決意

――この世界選手権後に、守備のセンスを買われてセンターに転向しましたね。

はい。2019年のアジア・パシフィック選手権大会(AP)では、センターは私一人が選出されました。転機となった2つ目の大会です。プレッシャーもありましたが、全7試合にフル出場し、自責点ゼロで優勝に貢献できて、自信になりました。

――そのとき、日本代表のセンターを長年、担っていた浦田理恵さんからアドバイスはありましたか?

LINEをくれたり、外側からずっと応援してくれて心強かったです。

(2021年末の代表引退後の)今でもいろいろアドバイスしてくれますが、APのときに言われた言葉では、「利恵子らしく、がんばれ」が、とても嬉しかったです。

――どうしてですか?

センターはチームに与える影響が大きいポジションです。私は理恵さんとは違い、本能型ではっちゃけているので、私が入ることでチームの雰囲気を変えてしまうのではないかとAPの前はとても不安でした。だから、最初は理恵さんのようにきれいにいこうと思って恐る恐るプレーしていたのです。

そんな私に気づいた理恵さんは、「それぞれのプレースタイルがあるから、悩んだときは利恵子らしく、やったほうがいい」と、声をかけてくれました。すごく勇気づけられました。

――そうして、高橋さんらしく、のびのびとプレーしたら、優勝できました。自信になったでしょう?

そうですね。でも、悔しい思いもあったんです。実は、このAPの結果を見て東京パラ代表6人中3人が選出される予定だったのですが、私は落ちてしまったんです。ショックでした。自分でも「APはよくできた」と感じていたので。

でも、思い直したんです。選ばれなかったのは何か原因があるはずだって。だから、AP後に練習へのモチベーションがすごく上がりました。

――その後、新型コロナウイルスの影響で東京パラリンピックが1年延期され、代表選手も再選考になりました。結局、東京パラのセンターは浦田さんと高橋さんの二人ともが代表入りしましたね。

理恵さんと最後に同じ大会を戦えて嬉しかったです。あらためて、センターとして理恵さんから教えてもらったことを引き継ぎ、後輩たちに還元しながらチームの勝利に貢献していきたいなという気持ちになりました。そういう意味で、東京パラは転機となった3つ目の大会です。

東京大会は無観客だったので、すべてを知ったとは思いませんが、パラリンピックは他の国際大会とは全然違いますね。多くの人が関わり、多くの国が少ない出場枠を目指してやってくる真剣勝負の場。注目度も高いし、緊張感が違いました。

――世界の強豪から学んだことも多いでしょうか。

東京パラでは高いバウンドボールにやられたのが大きかったので、東京パラ以降はそれに対するディフェンスの強化に取り組みました。おかげで今はだいぶ止めることができるようになったと思います。

ただ、海外選手も進化しています。バウンドの高さも低い、高い、もっと高いの3段階に増えています。高さだけを意識していると低いボールでやられてしまうので、いかに最少失点で防ぐかを課題として日々、取り組んでいます。

ーーでは、選手として、ライバルはいますか?

ライバルとは違うかもしれませんが、センターとして「止めたい」と思う選手はいます。ウイングでは世界トップクラスと言われる、トルコのセブダ(・アルトノロク)選手やイスラエルのリヒ(・ベンダビド)選手です。

エースのボールを止めるのはセンターの役目だし、やりがいがあります。

――なるほど、センターにとってのライバルは相手のエースになるんですね。そのために、取りくんでいることは?

ボールの質も種類が増えているし、男子並みの強いボールを投げてくる女子選手も出てきています。私もセンターとしてもっと進化して、しっかり対応したいです。

また、攻撃の組み立てやベンチとのコミュニケーションなど「司令塔」としての質も上げていきたいです。そのためには、どんな時でも慌てず冷静に、しっかり考えることを心がけています。ピンチに追い込まれて、私が機能しなくなったらチームを壊していますから。

――今年から代表キャプテンにもなりました。気持ちなどに変化はありましたか?

これまで自由気ままでいいと思ってきましたが、やっぱり変わりました。全然得意じゃないけれど、キャプテンには怒る仕事も求められたりしますから。

とはいっても、自分らしく、みんなが動きやすいキャプテンになれればいいかなと思っています。ある程度、統率は必要ですが、みんなの意見を聞いて一体感を作っていきたいです。

また、市川(喬一)監督やスタッフと選手の間をつなぎながら、私は縁の下の力持ちのイメージで、まとめていけたらと思います。

市川監督と話をする高橋選手

■ゴールボールをもっと広めたい!

――もし、ゴールボールと出会っていなかったら、今、何をしていると思いますか? 

特別支援学校の先生になって、視覚障害のある子どもたちの人生の選択肢や可能性を増やすことに取り組んでいると思います。

例えば、一般に視覚障害のある子どもが普通校や普通校の弱視学級に進んだ場合、体育は見学させられることが多いと聞きます。だから、視覚障害者のスポーツとしてゴールボールの存在を知ってもらうだけでも選択肢が広がると思います。私自身がそうだったように。

実は、最近、嬉しいことがありました。広島の母校でゴールボール体験会が行われたんです。東京パラリンピックのおかげで、私がゴールボール選手であることを母校が認知してくれて、いろいろな人の助けもあって実現しました。そして、この体験会をきっかけに、小学部の体育にゴールボールを取り入れてくれることにもなりました。私が在学中にはゴールボールの授業はなかったので、大きな一歩だと思います。

ジャパンパラゴールボール競技大会(2023年)

――憧れの人や刺激を受けたと思う人は?

ポジティブ思考やチャレンジ思考の性格は母の影響だと思うので、感謝しています。私がやりたいと思ったことを止められたことはほとんどありません。

――趣味や気分転換の方法は?

読書です。本を読んで、「違う世界に行くこと」が、いい気分転換になっています。子ども時代から小説を中心にいろいろ読んでいましたが、社会人になってからビジネス書や啓発本も読むようになりました。

最近は小さい頃に読んだ本を、もう1度読み返すことがマイブームになっています。子どもの頃の感じ方とは違ったりして、面白いです。

――興味深いです。何か例を挙げてください。

小学3年か4年で読んだ、魔法使いが活躍する、『ゴースト・ドラム』という本です。登場人物が死んでしまう内容で、誰かに勧められたのかもしれませんが、幼い頃によくこの本を選んだなって思います。記憶にあるなかではたぶん初めて、「本を読んで泣く」という経験をしました。

物語の最後で泣いた記憶はあるのですが、なぜ泣いたのか全然覚えていなくて、もう1回読んでみようと思いました。読み返してみて、「ここで泣いたんだった」って記憶がよみがえってきて、当時の感受性の強さやこの難しい内容が理解できたなとか、子ども時代の自分を振り返ることができて、すごく面白かったです。

――感受性の強かった高橋さん。今までで、いちばん悔しかったことと嬉しかったことを挙げてください。

悔しかったことはたくさんありますが、最近ではある盲学校の体育館で、ゴールボールでの利用を断られたことです。床が傷つくからと。盲学校の生徒たちにゴールボールを広めたいと思っていた私には、とてもショックな出来事でした。

嬉しいことも一つを挙げるのは難しいですね。私は今、とても幸せだし、すごく恵まれていると思うから。ただ、まだこの先にも、もっと嬉しいことがあるのではないかと思うので、それを探し求めていきたいです。

――例えば、いちばん輝くメダルとか…。今が幸せと思えることは充実の毎日を送っている証拠ですね。

そういえば、最近、嬉しかったことがありました。2023年の誕生日(3月20日)に、チームのみんなからサプライズでお祝いされたことです。合宿中だったのですが、夕食前に監督から「話がある」と呼ばれたんです。「何か、やらかしたかな」と焦っていたら、いきなり「誕生日、おめでとう!」って、胴上げされたんです。

ビックリしすぎて、胴上げも初めてだったので、腰が抜けました。でも、チームメートやスタッフ、みんなから祝ってもらえて嬉しかったです。

――それは記憶に残る誕生日になりましたね!では、もし今、目の障害を治せる薬が開発されたら、高橋さんは飲みますか?

今は飲みたいとは思いませんね。子どもの頃に同じ質問をされたら、違う答えだったかもしれないけど、今はゴールボール選手としての毎日が本当に楽しいので。

それに、視覚障害のあることで困っていたり、嫌だという感覚もないし、周囲にいい人が多すぎて、不便さを感じることもほとんどありません。

――では、仮定の話として、もし目が見えるようになったとしたら、何をしたいですか?

見えるようになっても、絶対にゴールボールに関わりたいし、何ができるかなって想像したことはあります。レフェリーもかっこいいし、普及や広報活動も面白いだろうし、選択肢はいろいろありそうです。

――最後に、競技の魅力を紹介し、ゴールボールの世界に誘ってください。

ゴールボールは視覚障害のあるなしに関わらず、アイシェードをするだけでみんな平等に同じ条件でできるスポーツです。全員が見えない状態でプレーするので、誰もが不便な状態になります。そういうなかで自由に動けるのは快感だし、チームで工夫して協力しながらゴールを目指す。それがゴールボールの魅力です。多くの人に挑戦してほしいし、一緒にプレーしたいなと思います。

――今日はゴールボールの魅力も、高橋さんの魅力もたくさん知ることができました。ありがとうございました。

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